しかしこれは香川が目指していた喜劇のスタイルと相反し、受け入れられるものではなかった。
、81-82頁。
藤田は『必殺仕置人』の放映開始時はまだ「コメディアン」で、2年ほどが経ってコメディのみならずシリアスな演技もできる「役者」になったと回顧している。
『はぐれ刑事純情派』の部長刑事、『必殺仕置人』の中村主水、『てなもんや三度笠』のあんかけの時次郎、世代によって俳優・藤田まことへ抱くイメージは異なるであろう。 郵便局(1985年頃)• (、東宝)• たたけよさらば(1960年、MBS)• ただ、東日本大震災が発生したことで、いったんは取りやめられるのですが、さん、野中広務さん、さん、森喜朗さんらが発起人となって、同年11月24日、東京国際フォーラムで、 「藤田まこと 役者人生最後の花道」として、藤田さんを偲ぶ会が行われると、 さん、さん、さんなど、藤田さんと親交のあった関係者が出席し、藤田さんを偲ばれたのでした。 (1996年11月、) - 脇坂 役• 当時、ABCと専属契約をしていた香川は後継となった『』『』そして『』まで約3年間、この時間に放送されたコメディ番組の脚本を引き続き担当したが、スポンサーの前田製菓は当番組の終了と同時に降板、『一本槍』以降は藤田の発する決め台詞も変わりさらにイメージを落とす。
20(1969年) - 納屋助八郎 役• てなもんや三度笠(、1巻3話・全4巻、VHS)• 時代劇「必殺仕置人」で同心・中村主水役• 『紙のダイヤモンド』(1984年4月15日)• ていうか、共演者がショボすぎるんでないかと思った。
、62-64頁。
『穴の牙』(1979年、フジテレビ)• (1982年)• 街のどんぐり(1959年、)• 再生できたテープの詳細は第164話、第218話、第252話~第256話、第258話、第259話、第262話、第263話、第266話、第268話、第269話、第275話~第280話、第282話、第284話、第286話、第288話、第290話、第291話、第293話、第294話、第296話、第297話、第299話、第300話、第301話、第308話の34回分• 2014年4月14日閲覧。
外部リンク [ ]• 『わしは中村主水を正当化しようとは思わない。 重役室午前0時(1989年6月23日、TBS) - 牧野豊三 役• てなもんやシリーズの終了後、藤田のもとには「コメディのどうでもいい仕事の話」がきたが、「コメディそのものにも、いまひとつ乗りきれないものを感じていた」 ことからすべて断り、地方のキャバレーを回る巡業に出た。 天外のいじわる爺さん(1962年、MBS)• 76歳だった。
10「ちょうど辞めようとしていた頃、カメラマンの石原興さんから撮影中に『あかん、それ。
近鉄の内野手として活躍したでタレントのや、捕手として活躍後監督も務めたが藤田の死に際して感謝を込めた追悼コメントを寄せている。
キングレコードからの発売が続いた本筋のレコードの方では、「てなもんや三度笠」に続いて「呑まんとおられへん」「残酷行進曲」、再び楠トシエとの共唱となった「ひまができたら」などがある。
関連項目 [ ]• 1933年生まれなので存命ならば85歳になる。
、47頁。
藤田によると、末期の『必殺シリーズ』は荒唐無稽なストーリーが続出し、若い視聴者に向けて、まるで「饅頭の上に苺のっけたり、生クリームかけたり、ちょっとチェリーをのせたり、そんな雰囲気のデコレーション」を施すようになった。
(1976年1月 - 7月) - 中村主水 役• トリオでいこう(1962年9月 - 1963年9月、NETテレビ)• 人形といっしょに(1959年、ABC)• そうして録画された作品はビデオテープ100本分以上にのぼった。
9てなもんや三度笠 ジャンル 脚本 演出 出演者 ほか オープニング 「てなもんや三度笠」(藤田まこと) 時代設定 末期から初期 製作 制作 放送 放送国・地域 放送期間 - 放送時間 日曜 18:00 - 18:30 放送分 30分 回数 309 唄と笑いの総決算 特別ワイドコメディー てなもんや三度笠 東海道超特急シリーズ 放送期間 放送時間 22:00 - 23:45 放送分 105分 回数 1 特記事項:。
旅役者駒十郎日記・人生まわり舞台• ただいま往診中(1960年、MBS)• (日本テレビ系)• そのネタ買います(1960年、関西テレビ)• 仕置人の脇役としてデビューした藤田まこと演じる中村主水は、職場では昼行灯と呼ばれ、自宅では婿養子という肩身の狭い立場でした。
オープニング• 「一見情けない男だが、実は腕利きの殺し屋」という設定が「自分にぴったりの役」と感じた藤田は出演を承諾した。
その画像をよく見てみると確かに似ているのです。
そうしたら、藤田さんはこうおっしゃるんですよ。
主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。
同年12月25日にラジオ放送局として開局。
白木みのると原哲男(初期は白木みのる単独)によるCM• 山内は、殺し屋グループ『必殺仕置人』といっても家庭で楽しむホームドラマであるし、現代サラリーマンを映した役として「」を考え、家庭に馴染む役者として藤田を思いついた。
14(2007年7月、テレビ朝日共同制作) - 中村主水 役• タイトル:• (、東映) - 居酒屋「くいしんぼ」の親父 役• 水島新司版 ・より単行本が発行。
、、など知名度の高い人物に扮したことが人気を博した。
(1978年12月 - 1979年5月) - ナレーター• また、藤田さんも自身の告白本により薬をしていた真実を公開しています。
ディレクターの職務からも外され、後の「社籍を残したままでの『』設立」への伏線を作る結果となった。 『うちのお父ちゃん』(1966年、TBS)• 大阪・淀川沿いの歓楽街が歌われた浪花演歌のスタンダードは自らの作詞・作曲によるものだった。
9原は番組終了後(平成2年)まで出演していたでも「カバ」のあだ名で親しまれ、十八番の 「誰がカバやねん」のネタは実質、当番組から生まれた。
共演者のセリフまで覚えるほど台本を読み込み、納得がいかなかったシーンは、ビデオで何度も見返すなど、藤田まことは、仕事に対しては妥協がなく、努力を怠りませんでした。
法善寺横丁 (1963年)• (平成20年) ()で放送された『 との浪速ナイトショー』の中で藤田と白木が数年ぶりに競演を果たし、藤田は「2008年の目標で、もう一度『てなもんや三度笠』をやりたい」とコメントした。
、19-20頁。 制作:朝日放送 主題歌 [ ]• 」と藤田の演技を酷評した が、次第に「だいぶ芝居が落ち着いてきた」「これあと3回くらいやったら、一生もんのシリーズになるかもしれへん」と評するようになり 、シリーズ終盤には「おっさん、これ必ず続き物になるで。 。
石原さんは『これが視聴率悪いと「必殺」は打ち切りになる。
著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。
食べ物に目がない。