栄典 [ ]• 宗武志は女中が抱いている赤ん坊の肖像画を描いている。
長じて旧対馬藩宗家の当主・宗武志と結婚し一女をもうけたが、少女期に病んでいた統合失調症が悪化。
「私は命を賭けて必ず翁主様を朝鮮にお連れいたします」と。
「生きているの? 彼は生きているの?」と言いつつ、徳恵は湧いてくる涙を止めることができない。
捜索隊の努力も虚しく行方は判明せず、正恵不在のまま夫との離縁が成立。
衣装:クォン・ユジン• の著書ではとなっており、それが広く流布しているが、誤りである。
今回のテーマは、その高宗に生まれた最後の王女・徳恵姫(1912ー1989)にまつわる物語である。 そのような事情はありながらも、武志は妻となった徳恵を深く愛し、2人の仲は睦まじく、1年後のに長女正恵(まさえ)が生まれた。 馬車に座った徳恵は、ベールに隠した顔を俯けて、「私は彼を信じる。
17小説家や詩人も」 「それもいいけど先ずは先生になるわ」 「必ず夢を実現なさるでしょう。
230-231参照• 金乙漢は自称「徳恵翁主の許嫁」である金章漢の兄で、新聞記者だった。
いつも捕まって、厳しい折檻を受け、なんの希望も絶たれた売春婦の生活を送っていたのです。
『官報』第849号、「叙任及辞令」1929年10月28日。 希望を捨てれば、その瞬間に翁主様は負けてしまい、翁主様が負ければ朝鮮には希望がなくなります」と話す。 何度も脱出を試みました。
8いつかは、間違いなく、お帰りになられるでしょうが、ひょっとしたら、それは遠い将来になるかもしれません」と、パク・ムヨンは言う。
同じように植民地経験を持つ台湾人が、日本支配をおおむね肯定的に捉えているのと、それは対照的でもある。
神戸では言葉にできないあらゆる辛酸をなめました。
つまり同年生まれである。 それを、遊郭に仕出しの料理を届けにきていたあの男が、私の境遇に同情してくれて、開業資金に貯めていたヘソクリをはたいて、請け出してくれたのです。 宗武志が先に立って徳恵のためにドアを開け、ふたりは対馬厳原の邸宅に入る。
セントラルコンサルタント株式会社• 屋敷の裏庭でポクスンがおむつの洗濯をしている。
金用淑『朝鮮朝宮中風俗の研究』、韓国語版は1986年• 『徳恵翁主』は悲運の皇女、徳恵翁主(1912~89)の切ない人生にスポットを当てた。
「国運」というには、あまりに悲劇的だ。
徳恵は眩しい陽射しに顔をそむけて振り向く。 武志と朝鮮人である徳恵との結婚には、朝鮮側と宗家側双方共に強い反発があったというが、当時の宗家は経済的に困窮しており、徳恵の実家であるからの支援を期待できるこの縁談は悪い話ではなかった。
7日本人の女中が戸口に立っている鉢巻姿の日本女性からワカメを受け取っている。
故国を出るときに母親に「生水を飲んではいけない」と言われ、 母から貰った水筒を片時も離さず、ずっと辛い日本での生活を耐え忍びます。
株式会社エックス都市研究所• 権藤四郎介『李王宮秘史』朝鮮新聞社• この程度の脚色は、実在の有名人を描く映画ではしばしば行われるレベルかもしれない。
仰天しながらポクスンを見る徳恵。
皇女として幸せに王宮で暮らしていた徳恵翁主ですが、じわじわと日本統治の余波は彼女にも迫ってきます。
5月8日に旧主・の当主である(そう たけゆき)へ嫁いだ。
私も同じ志を持っています」と、熱っぽく言葉を継ぐのだった。 ポクスンの肩をつかんで、「ポクスン? ポクスン? 本当にあのポクスンなの?」と大声をあげる。 権丕暎著・斎藤勇夫訳『朝鮮王朝最後の皇女 徳恵翁主』かんよう出版 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。
6日本と朝鮮の間(はざま)にあって、対馬では自分たちを、日本人でも朝鮮人でもない、対馬人だと称しているのですよ」と、徳恵に話す。
でも、何が一番悪いかといえば、時代ではないでしょうか。
熊谷遊技業協同組合• 朝鮮に戻る条件として親日演説を強要されるという場面もフィクションである。